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1.
論文 |
田部井, 世志子
概要:
「個人は愛し合えない。」D・H・ロレンスはアポカリプスの中でこのような現代における個人の愛の不毛性の問題を世に投げかけてこの世を去った。われわれは彼のこの言葉をどう受け止めればいいのだろうか。おそらく人類が始まって以来、常に振り子のように揺
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れてきた人間存在の在り方──個人重視か集団重視か──についての議論を加えつつ、とりわけ個人主義が標榜される今日にあって、今一度真摯にロレンスの問題提起に耳を傾け、問題解決の一助──宇宙的大自然との一体化のうちに個人どうしの愛の可能性を見る──を彼の『アポカリプス』の中に探る。
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2.
論文 |
田部井, 世志子
概要:
人間はパスカルがいうように否応なしに死刑囚の状況を背負わされている。しかし、とりわけ「死の現実性」を社会のあらゆる所から覆い隠そうとする企図が支配する現代社会において、大抵の人間は日常の営みに忙殺され、それを意識することはほとんどない。そう
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いう意味でも、生について真摯に考えるためには、今、むしろ死の教育が必要だといえるだろう。D・H・ロレンスといえば一般的には性あるいは生に根差し、生命力を謳歌した作家・詩人ということで知られている。生に徹底的にこだわったロレンスであるが、彼が死とどのようにかかわったのかという問題については、従来、批評家が殊更関心を示すことはなかった。そこで本論では、まず、ロレンスが若い頃から、とりわけ後半生において、生のみならず「至上の超越者」ともいうべき死にいかに取り憑かれ、死の問題と対峙してきたかをざっと見ていき、彼が死に対する想いをどのように表現しているのかを、主に中・後期の随筆等を中心に検証する。その過程を通じて、エトルリアの遺跡巡りがロレンスの死生観に与えた影響がいかに大きかったかが明らかとなるだろう。本稿の目的は、これらの作業を通じて、「生命の司祭」としてのロレンスの一般的なイメージを大きく覆すと同時に、生命の充実や謳歌には、死との対峙、その理解と受容がなくてはならないという人間の真実に改めて目を向けることにある。
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3.
論文 |
田部井, 世志子
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4.
論文 |
田部井, 世志子
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5.
論文 |
田部井, 世志子
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6.
論文 |
田部井, 世志子
概要:
生きるとは、愛するとはどういうことなのかを追究したD・H・ロレンスが死を前に達した結論は、人間は愛し合えないという悲観的なものだった。その原因を彼は多方面に求めているが、本稿ではとりわけ現代社会において重要視されているもの——「金銭、物質」
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、「知性、知識」、「機械」——に焦点を当て、ロレンスの言葉に沿ってそれらの問題点を明らかにした。「へそ曲がり」と言われそうなロレンスであるが、彼の主張には一理あるのではないだろうか。「絶望」という言葉はロレンスの辞書にはない。今後我々は、想像力を逞しくし、「優しさの勇気」を持ってお互いに「触れ合いの文明」を築く努力をすることで、希望は見出せるとロレンスは主張する。そのためにも、まずは「太陽と共に始めよ」という彼のメッセージは、現代に生きる我々にとっても重要なものであり、それは未来に通じると言えるだろう。
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