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1.

図書

図書
山本進編
出版情報: 東京 : 誠文堂新光社, 1959
シリーズ名: 玉川百科大辞典 / 玉川大学出版部編 ; 第1
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2.

図書

図書
沼田善子著
出版情報: 東京 : くろしお出版, 1992.5
シリーズ名: 日本語文法セルフ・マスターシリーズ / 寺村秀夫企画 ; 5
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3.

図書

図書
寺村秀夫企画
出版情報: 東京 : くろしお出版, 1985.4-2001.5
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4.

視聴覚資料

AV
ラジオたんぱ制作・著作
出版情報: 東京 : アルク, 1993.1
シリーズ名: 日本語教師養成ラジオ講座シリーズ ; . 分野別日本語教育能力検定試験対策集中講義||ブンヤベツ ニホンゴ キョウイク ノウリョク ケンテイ シケン タイサク シュウチュウ コウギ ; 2
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5.

論文

論文
山本, 進
出版情報: 北九州市立大学国際論集.  pp.1-21,  2018-03.  北九州市立大学国際教育交流センター
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000579/
概要: 朝鮮初期太宗と世宗は現物貨幣が使用されている市場に楮貨や銅銭を通用させようと努めたが結局失敗に帰した。15世紀末には楮貨は流通界から姿を消した。16世紀には2回にわたって楮貨通用政策が検討された。1515年の場合は楮貨による麤布の回収を企図 したものであったが、官民の反対によって失敗した。1551年の場合は小額取引における米穀の使用を阻止するためであったが、米穀を集積していた市廛民が猛反発したため挫折した。政府が楮貨の通行を推進したのは利権在上という経済思想の実現ではなく、商品と貨幣とを弁別し、使用価値を有する物貨を貨幣界から引き離し、現物経済を安定的に維持するためであったと考えるべきである。 続きを見る
6.

論文

論文
山本, 進
出版情報: 北九州市立大学国際論集.  pp.1-14,  2020-03.  北九州市立大学国際教育交流センター
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000699/
概要: 朝鮮の倭銅鑞輸入は世宗の鋳砲・鋳銭政策に伴う青銅需要に刺激されて増大し、需要が低下した後も日本の朝鮮産綿布需要に押されて輸入圧力は続いた。政府は羈縻政策の観点から倭銅輸入を継続し、余剰銅は鍮器などに加工された。16世紀になると一転して倭銅鑞 輸入は低下した。 続きを見る
7.

論文

論文
山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-20,  2007-09.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000130/
概要: 清代中期までに後発的地域経済圏を形成する原動力となった直隷・山東の移入代替棉業は、宣統年間を境に大きく変貌した。洋布の流入により最周縁地域への土布移出は減退し、直隷棉業は東三省市場をほぼ失った。土布に代わって主力商品となったのは、海外市場向 けや上海・天津・青島など国内紡績工場向けの棉花であった。1910年を境に棉花移出は飛躍的に上昇し、棉産地も西河棉区から御河棉区、更には東北河棉区へと拡大した。清代の棉業が江南棉布の移入代替生産であったのに対し、民国期棉業は強い移出指向性を帯びていた。 続きを見る
8.

論文

論文
山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-23,  2008-01.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000135/
概要: 清初より民国9年に至るまで、中国本土と内外モンゴルとの交易は持続的に発達した。ロシア革命と外モンゴルの独立により庫倫方面の市場は喪失したものの、東部内モンゴルでは磚茶や棉布を移入し、牲畜や羊毛などの畜産品を移出する草地買売が継続した。これを 末端で担ったのが撥子である。奥地での撥子交易は基本的に物々交換であり、銀貨は貴金属商品として内地から一方的に移入されるに止まり、貨幣としての役割を果たすことができなかった。集荷地では銅銭を基礎とした吊文や奉天票・熱河票などの紙幣も使用されたが、貨幣による売買は少なく、撥子と雑貨商や桟店との間の債権・債務を定期的に相殺する標期決済が主流を占めていた。また、雑貨商が商品を移入する時、あるいは桟店が畜産品を移出する時に振り出す為替も、銭舗が票期を定めて定期的に決済していた。 続きを見る
9.

論文

論文
山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-28,  2009-09.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000156/
概要: 華北西部の山西・陝西・甘粛三省では、灌漑が困難なことから、清末まで棉業がほとんど成長しなかった。ただ、山西省の汾水流域や陝西省の渭水盆地では、水利の便が比較的よい場所に僅かながら自給的棉業が根付いていた。19世紀後半、罌粟栽培が浸透したこと により、当地の脆弱な在来棉業は一旦解体された。しかし民国以降、両地域では省政府の罌粟栽培禁止政策と殖産興業政策によりアメリカ棉やインド棉などの外来種を用いた近代棉業が興った。19世紀から20世紀前半期にかけて、華北西部の商品生産は自給的棉業からアヘン生産、更には移出向け棉花生産へと劇的に変化した。 続きを見る
10.

論文

論文
山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-25,  2010-11.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000169/
概要: 貨幣経済の展開が遅れた朝鮮でも17世紀後期頃より商品経済が発展し、市場では常に貨幣が不足していた。だが政府は銭を商品市場に流れる血液とは見なさず、むしろ兵餉の一部と捉えていた。また軍営を中心とした銭流通が図られた平安道でも、17世紀末には銭 の追加投入が中止されたため、富戸による江辺―内地間の穀物価格差と還穀制度を悪用した利鞘稼ぎが横行した。英祖初期に貨幣廃止が企図され、鴨緑江辺に流通していた銭を強制的に回収して平安道の監営・兵営に備蓄させると、この弊害は更に悪化した。一方漢城の銭荒が深刻の度合いを増すと、廷臣らは平安道軍営の備蓄銭を流用せよと唱え出した。しかし平安道の銅銭は彼らが考えるほど充溢しておらず、やがて英祖も銅銭鋳造を余儀なくされるが、南送された銭も漢城の市場経済を潤したとは言い切れず、高級官僚や王族層の高利貸しに転用された可能性が否定できない。結局銭貴の弊害は漢城朝廷→平安道軍営→江辺という形で周縁部に転嫁されたのである。 続きを見る