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1.

論文

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山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-20,  2007-09.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000130/
概要: 清代中期までに後発的地域経済圏を形成する原動力となった直隷・山東の移入代替棉業は、宣統年間を境に大きく変貌した。洋布の流入により最周縁地域への土布移出は減退し、直隷棉業は東三省市場をほぼ失った。土布に代わって主力商品となったのは、海外市場向 けや上海・天津・青島など国内紡績工場向けの棉花であった。1910年を境に棉花移出は飛躍的に上昇し、棉産地も西河棉区から御河棉区、更には東北河棉区へと拡大した。清代の棉業が江南棉布の移入代替生産であったのに対し、民国期棉業は強い移出指向性を帯びていた。 続きを見る
2.

論文

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山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-23,  2008-01.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000135/
概要: 清初より民国9年に至るまで、中国本土と内外モンゴルとの交易は持続的に発達した。ロシア革命と外モンゴルの独立により庫倫方面の市場は喪失したものの、東部内モンゴルでは磚茶や棉布を移入し、牲畜や羊毛などの畜産品を移出する草地買売が継続した。これを 末端で担ったのが撥子である。奥地での撥子交易は基本的に物々交換であり、銀貨は貴金属商品として内地から一方的に移入されるに止まり、貨幣としての役割を果たすことができなかった。集荷地では銅銭を基礎とした吊文や奉天票・熱河票などの紙幣も使用されたが、貨幣による売買は少なく、撥子と雑貨商や桟店との間の債権・債務を定期的に相殺する標期決済が主流を占めていた。また、雑貨商が商品を移入する時、あるいは桟店が畜産品を移出する時に振り出す為替も、銭舗が票期を定めて定期的に決済していた。 続きを見る
3.

論文

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山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-28,  2009-09.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000156/
概要: 華北西部の山西・陝西・甘粛三省では、灌漑が困難なことから、清末まで棉業がほとんど成長しなかった。ただ、山西省の汾水流域や陝西省の渭水盆地では、水利の便が比較的よい場所に僅かながら自給的棉業が根付いていた。19世紀後半、罌粟栽培が浸透したこと により、当地の脆弱な在来棉業は一旦解体された。しかし民国以降、両地域では省政府の罌粟栽培禁止政策と殖産興業政策によりアメリカ棉やインド棉などの外来種を用いた近代棉業が興った。19世紀から20世紀前半期にかけて、華北西部の商品生産は自給的棉業からアヘン生産、更には移出向け棉花生産へと劇的に変化した。 続きを見る