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1.

論文

論文
山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-25,  2010-11.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000169/
概要: 貨幣経済の展開が遅れた朝鮮でも17世紀後期頃より商品経済が発展し、市場では常に貨幣が不足していた。だが政府は銭を商品市場に流れる血液とは見なさず、むしろ兵餉の一部と捉えていた。また軍営を中心とした銭流通が図られた平安道でも、17世紀末には銭 の追加投入が中止されたため、富戸による江辺―内地間の穀物価格差と還穀制度を悪用した利鞘稼ぎが横行した。英祖初期に貨幣廃止が企図され、鴨緑江辺に流通していた銭を強制的に回収して平安道の監営・兵営に備蓄させると、この弊害は更に悪化した。一方漢城の銭荒が深刻の度合いを増すと、廷臣らは平安道軍営の備蓄銭を流用せよと唱え出した。しかし平安道の銅銭は彼らが考えるほど充溢しておらず、やがて英祖も銅銭鋳造を余儀なくされるが、南送された銭も漢城の市場経済を潤したとは言い切れず、高級官僚や王族層の高利貸しに転用された可能性が否定できない。結局銭貴の弊害は漢城朝廷→平安道軍営→江辺という形で周縁部に転嫁されたのである。 続きを見る
2.

論文

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山本, 進
出版情報: 北九州市立大学外国語学部紀要 = Bulletin, Faculty of Foreign Studies, the University of Kitakyushu.  pp.1-24,  2013-10.  北九州市立大学外国語学部
URL: http://id.nii.ac.jp/1077/00000314/
概要: 常平通宝は朝鮮王朝が本格的に鋳造した唯一の銅銭であり、その規格は粛宗4年の単字銭が重量1銭2分であったと言われているのに対し、5年以降の二字銭は重量2銭5分程度に倍増した。しかし鋳造技術の低さから重量のばらつきが生じ、また当初から官庁による 悪鋳や民間での盗鋳が横行して銭の軽薄化・粗悪化を招来したため、約20年で鋳銭は停止された。英祖初期より間歇的に提起された大銭鋳造論の背景には、巷間にて蔓延する雑多な銅銭を大銭と小銭に整理して銭制の紊乱を終息させる意図があったが、これらは大別して十進法大銭鋳造論と当二銭鋳造論とに分類される。 続きを見る