※一部利用できない機能があります
1.
論文 |
山本, 進
概要:
朝鮮の倭銅鑞輸入は世宗の鋳砲・鋳銭政策に伴う青銅需要に刺激されて増大し、需要が低下した後も日本の朝鮮産綿布需要に押されて輸入圧力は続いた。政府は羈縻政策の観点から倭銅輸入を継続し、余剰銅は鍮器などに加工された。16世紀になると一転して倭銅鑞
…
輸入は低下した。
続きを見る
|
|||||
2.
論文 |
山本, 進
概要:
朝鮮は開国当初女真族と貿易を行わなかった。鉄が輸出されると彼らの軍事力が増大するからである。だが1470年代頃から明や朝鮮の支配層の間で貂皮が流行すると、貂皮と鉄物との密貿易が活発になった。
|
|||||
3.
論文 |
山本, 進
概要:
明と朝鮮は鴨緑江を国境と定めていたが、中洲の帰属については未確定であった。世祖は中洲三島の開墾を推進し、成宗期には4回にわたり起耕論が提起されたが挫折した。中宗26年より中洲に定住して起耕を始めた。そこで朝鮮政府は遼東都司に彼らの刷還を要求
…
した。
続きを見る
|
|||||
4.
論文 |
山本, 進
概要:
中国との事大外交を行うため、朝鮮政府は文書応奉司を設置して吏文という中国の公文書用語を学ばせた。しかし朝鮮の両班は半ば口語体である吏文学習を厭い、16世紀半ばには殆ど重視されなくなった。
|
|||||
5.
論文 |
山本, 進
概要:
明初遼東に対する兵站は本土から直接海運されていた。やがて開中法の利用と併せて折糧銀が毎年10万両送付されるようになった。しかし遼東の開墾が進展すると折糧銀は減額され、不定期になった。
|
|||||
6.
論文 |
山本, 進
概要:
朝鮮前期鴨緑江と豆満江の江辺に建設が試みられた長城は、明の遼東辺墻構築を契機とし、辺民の逃亡阻止を名分としつつ、実際には対女真防衛を目的としていた。ところが朝廷では何が最重要課題であり、如何なる方法で対処するのかを明確にしないまま、漫然と議
…
論が続けられ、結果として修築事業はほとんど進まなかった。
続きを見る
|
|||||
7.
論文 |
山本, 進
概要:
明初洪武年間、遼東へは貨幣がほとんど送られず、穀物や木綿などの現物が直接転運され、軍土に支給されていた。だが時代が下るにつれ、徐々に現物に替わって鈔が転運されるようになり、正統年間には山東や遼東で鈔の通用が最も盛んになった。ところが土木の変
…
を境に銀の遼東転運が急増し、景泰・天順年間は鈔払いと銀払いとの併用期となった。その後も銀遣いの勢いは止まず、成化年間には鈔が貨幣の地位から脱落して銀の優位が強まった。弘治年間になると遼東軍土への鈔の給賞はほとんど見られなくなった。
続きを見る
|